12ユダヤ人を迫害すればその国は必ず衰退する

明治時代までは、業(ごう)を果たさずに死ねば、ひどい目にあうということが、日本人の通念になっていました。業を果たして死ねと、親が子供によく言ったものです。のらりくらりと遊んでいるとか、後ろ指を刺されるようなことをしていれば、業を果たせないから、まじめに働いて業を果たすことを第一に心掛けよということが、明治時代までの家庭教育の基礎だったのです。今はそんなことを教える親はいないのです。

明治時代までの人間は、現世に生きていることに、非常に大きい疑いをもっていたのです。現世に生きていることは、業を果たすためだと考えていたのです。業を果たさないで、ただ自分の生活にかまけて、いわゆるマイホームを楽しむような生き方は、全く愚劣下等な人間だと考えられていたのです。

ところが今は、それが上等になっている。マイホームが人間の欲望を満足させる場になっている。それを楽しむというのは、欲望を喜んで、欲望を果たすことを人生の目的にしていることを白状していることになるのです。こういう考え方を、明治時代までは非常に嫌ったのです。今ではそういう考えが当たり前になったのです。

なぜ人間がこんなに堕落したかといいますと、ユダヤ思想によって現世の人間の命が本物であるように思いこまされたのです。ユダヤ人は現世で王国をつくることを、国是としているのです。これがメシア思想です。

レーニンのロシア革命が、現世で王国を造るための第一歩になっているのです。レーニンとトロッキーの二人のユダヤ人がロマノフ王朝を倒して、ソビエト連邦をつくったのです。これが世界統一の第一原理になっているのです。ソビエト連邦をつくるために、アメリカから相当のお金が、レーニン、トロッキーに渡されたのです。アメリカもロシアも両方ともユダヤ人が力を持っているのでありまして、アメリカとロシアは本気でけんかをすることは、ありえないのです。

レーニンがロマノフ王朝を倒してソビエト連邦という大きな革命国家を作ったのですが、赤衛軍という軍隊に、大量のお金が必要だったのです。

そのお金がどこから来たかといいますと、アメリカのユダヤ人が出したのです。古いロシア社会を倒して新しいロシア社会をつくるためには、相当のお金が要るのです。

日本の明治維新のときでも、各藩閥が相当のお金を持っていたので、できたのです。ソ連の場合はそうではありませんでした。赤衛軍はお金を持っていませんでしたし、武器弾薬もなかったのです。誰がお金を出したかといいますと、アメリカのユダヤ人の金持ちが出したのです。

日本人はこういう歴史の舞台裏をあまり知らないのです。ユダヤ人問題が分からなければ、世界の流れは分かるはずがないのです。AP、UP、ロイターという世界の大通信社は、ユダヤ人の支配下にありますから、ユダヤ人に都合の悪い記事は流さないのです。

ユダヤ人問題が分からなければ、人間歴史の先行きは分かりません。人間歴史の先行きが分からなければ皆様方の人生の確立ができないのです。ユダヤ人を中心にしなければ、世界の歴史が動かないようになっているのです。ユダヤ人が相当な力を入れなければ、レーニンの革命は全く成功しなかったのです。日本でマルクス経済学を研究している学者が、そういうことを知らないのです。

レーニンは単なる番頭だった。親方がお金を足して、番頭さんが仕事をしただけなのです。これがソビエト革命でした。

私はイスラエルの問題と霊魂の問題を絡み合わせて考えていますが、世界政治の実態が分からなければ、霊魂のことは分からないのです。現在の世界の政治はどう動いているのか。経済はどう動いているのか。将来世界はどうなるかという予想と、皆様の霊魂が、説明できなければいけないのです。

日本の新興宗教の連中はひどいものです。霊友会とか霊法会とか色々ありますが、ただ金儲けをしているのです。霊のことが全然分かってないのです。政治的、経済的、社会的に、世界がどのように動いていくかを考えた上で、霊魂の問題を考えなければいけないのです。

宗教の理屈は、迷信ばかりです。ユダヤ人問題の説明ができなければ、魂の説明は絶対にできないのです。ところが、ユダヤ人問題が説明できる宗教家は日本にいません。全くひどい状態です。

世界の政治は、ユダヤ人の意向で動いているのです。日本が第二次世界大戦に負けたのは、ユダヤ人に負けたのです。ナチスドイツと同盟を結んで、ユダヤ人を敵に回した。だから負けたのです。日本が米英と戦争をするのはかまいませんが、ドイツ、イタリアとの三国同盟をやめて、日本独自の立場で戦争をしたら良かったのです。ユダヤ人を迫害しているナチスドイツに味方をして、ドイツの尻馬に乗って戦争をしたのが悪かったのです。

神はアブラハムに約束したのです。「私はあなたを大いなる国民とし、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。あなたを祝福する者を私は祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」(創世記1223)。

私がユダヤ人のことを悪く言うのは、ユダヤ人を憎んで言っているのではありません。ユダヤ人の考え方が間違っているから、本来の考え方に返ってはしいといっているのです。ユダヤ人の考えの間違いを指摘しているのですが、ユダヤ人の魂をどこまでも愛しているのです。

ユダヤ人が正気に返らなければ、世界にまともな文明が実現しないのです。そのために苦言を呈しているのです。悪いことを悪いといっているのです。

ユダヤ人に敵対した民族、国は、必ず滅びるのです。ヒットラーも、ガス室でユダヤ人を大量虐殺するという馬鹿なことをしなければ、非業の死を遂げなかったでしょう。白人は、イギリスもフランスも、スペイン、オランダ、ポルトガルも、皆ユダヤ人を迫害したのです。西欧が没落しているのは、そのつけが回ってきているのです。その結果、白人社会が老人社会になっているのです。若々しいエネルギーがなくなっている。その原因は何かと言うと、ユダヤ人を迫害したからです。

ユダヤ人を迫害した民族、国は、必ず神に憎まれるのです。神に憎まれた民族、国は、神に叱られるのです。日本がアメリカに負けた原因はそれです。ユダヤ人を迫害したドイツに加担したことが悪いのです。

日本はユダヤ人に厄介になっているのです。明治天皇はユダヤ人ジエーコブ・シフに、大きな勲章を授与しています。奉天戦争でロシアに勝ったのは、ユダヤ人のおかげです。当時日本には砲弾が無かったのです。そこで高橋是清がユダヤ人銀行家のシフにお金を借りて、砲弾を購入しました。それでロシアに勝ったのです。もしユダヤ人からお金を借りなければ、日本は戦争に負けていたでしょう。

そのように、日本人はユダヤ人に恩になっているのです。そこで明治天皇は端宝章を授与しているのです。だからユダヤ人をいじめたらいけないのです。それを、ドイツ、イタリアと三国同盟を結んで戦争をした。そこで神に叱られたのです。

ユダヤ人問題が分からなければ、霊魂は役に立ちません。約束の民というのは、驚くべき権威を持っているのです。この民が神に反抗している。その民に覚醒を促すのが、私の目的なのです。ここまで分からなければ、霊魂の裏表は説明できないのです。

日本は昭和十五年に、紀元二六〇〇年の大祭をしました。今は紀元二六六〇年ぐらいになっていますが、今から二千六百六十年はど前に、イスラエルの王朝が滅んだのです。

イスラエルの北朝は十部族あり、南朝は二部族ありました。アジアの極西の北朝が滅んだのが、今から二千六百六十年程前ですが、そのころに、アジアの極東の日本で神武天皇が現れたのです。紀元二六六〇年という数字をどうして割り出したか分かりませんが、その頃にアジアの極西のイスラエル北朝が滅び、極東の日本で天皇家が誕生しています。これには興味津々たる因縁があるのです。

とにかくアジアの極西にイスラエル、極東に日本という二つの国がセムというアジアの民族を代表して、世界全体の終末を締めくくることになるのです。こういうことを大々的に公表できる雰囲気がまだありませんけれど、やがて明らかにされる時がくるでしょう。

世界歴史の実情を踏事えて、霊魂とは何であるか。今生きている人間の魂との関係はどうなるかを、考えなければならないのです。

ユダヤ人は歴史の表面には出ていませんが、舞台裏で動いているのです。お金を動かすとか、組織をつくるとか、データを流すという方法で、世界を操っているのです。イスラエルにいるユダヤ人は、ショーウインドみたいなものです。本当に実力を持っているユダヤ人はアメリカやヨーロッパにいるのです。

世界の政治の動きは、小さく言えば現実、大きく言えば、世界全体の神の処置によるのです。これをエホバといいます。「我はエホバにして汝を生かすものなり。我の他に神あることなし」とあります。エホバとは何かといいますと、一人ひとりの心臓が動いていることがエホバです。目が見えること、耳が聞こえること、手足が動くことがエホバです。これか分からないと、人間が現世に生きている意味が分からないのです。

イエスが死を破って復活しました。復活したからどこかにいるのです。現世にはいませんが、第三の天にいるのです。これと皆様の命とは大関係があるのです。第三の天という言い方は聖書独特の言い方で、聖書になじみのない方には何のことか分かりませんが、簡単に言いますと、第一の天は目に見える現象世界です。第二の天は天文学、理論物理学で考えている世界です。第三の天はイエス・キリストの復活によってできた世界で、復活を信じる人々の信仰を言います。

日本人はこういうことを全く知りません。無知蒙昧といわなければならないのです。聖書を真剣に読まないからです。聖書を勉強しなければ、世界の歴史は絶対に分かりません。親鸞がよい、道元がよい、日蓮がよいといっても、彼らは世界の歴史を知らないのです。こういう人々は、霊魂の説明ができるはずがないのです。私は一九九五年と一九九七年に世界一周をして、多くの国々の実情をつぶさに見聞きして来ました。世界の歴史が分からない人は、魂の説明ができないのです。

ユダヤ人問題と霊魂の永遠の命と、どのように結びつくかが説明できないのです。政治家は魂のことが分からない。宗教家は政治のことが分からない。これではいけないのです。人間が生きていることと、世界の歴史はひとつのことです。これが文化の原理です。歴史全体の説明ができないようでは、人間の魂の実体は分からないのです。

日本人は聖書を避けようとする悪い癖があることを承知して頂きたいのです。これはキリシタンバテレンのせいです。徳川三百年の政策が、今日の日本に影響しているのです。聖書なんか知っても知らなくても、どうでもいいと考えている。だからまともな神が分かるはずがないのです。

神は命の真髄です。命の真髄とは生きているそのことです。又、存在していることが神です。命と存在が、哲理の大原則です。有形的にいえば存在、物があること、地球があること、人間がいることが存在です。無形的には、魂の問題、この二つが一番大きい問題です。日本人は両方共、知らないのです。知っても、知らなくても宗教商売ができるのです。聖書を勉強すると何が分かるか。まず、地球ができた原因が分かります。地球ができた原因がわかりますと、人間ができた原因がわかるのです。

何のために人間がこの世に生まれたのか。これは日本の国という小さな問題とは違います。日本ができたのは仮に二千六百六十年前としますと、地球ができたのは、四十五億年も五十億年も前のことなのです。地球ができた所から勉強しないとだめです。

地球がなければ、人間が生まれてくるはずがないからです。地球の原理が説明できないようでは、人間存在の原理は説明できません。日本に世界的な宗教家がいないのは、地球ができた原理が分かっている人がいないからです。

人の魂は、地球のカルマ(業)を果たすことが目的で、生まれてきたのです。地球という妙なものが、どうして存在するのか。森羅万象が満載している星は、宇宙の中で地球しかありません。SFの世界では、地球のような惑星が宇宙に存在するといいますが、これは皆ユダヤ人の御伽噺です。

地球に存在する森羅万象は、驚くべき精密な状態を現しているのです。皆様は地球の森羅万象がよくお分かりになっていません。例えば一輪の花をご覧になっても、花がきれいということくらいはお分かりになりますが、それが何を意味しているのかが分からないのです。花がきれいという事だけでも本当に分かりますと、魂が死なないことが分かるのです。人間は五官という不思議なものを持っています。食べたり、見たり、聞いたりしています。これは一体何をしているのでしょうか。マイホームを楽しむことは間違っていますがマイホームがあることは大変なことです。

人間がつくっている家庭は、ただの譬です。本当の家庭は何かといいますと、神の霊と人の霊のかかわりを意味するのです。人間の家庭は、神との霊と人の霊のかかわりの雛形をさしているのです。これを考えないでマイホームを楽しむというのは、本物を考えないで偽物で有頂天になっていることになるのです。だから死後に罰金を取られるのです。肉欲にかまけて家庭を乱用しているからです。

人間の欲望は、求めるべきもののすり替えです。命を求めるためのものがすり替えられて、欲を求める結果になった。欲をよくよく勉強しますと、その本体が分かってくるのです。欲の本体は生まれる前の本能性です。生まれる前の本能性というのは、人間の魂の本体です。人間の欲望生活を、冷静に平明に、綿密に分解していきますと、魂としての永遠の命が分かってくるのです。

今生きている人間は、死ぬにきまっています。肉体を持っている人間は、必ず死にます。それを皆様は自分だと思っています。

人間がこの世に生まれてきたことがカルマです。このカルマをそのまま自分だと思い込んでいる。カルマの魂を自分だと思い込んだら必ず死にます。カルマの人間は、人間社会だけが認めているものであって、神は一切認めていないのです。仮に人間という格好で生きているだけなのです。

ところが皆様は、自分が生きていることを仮に生きているとはお考えになっていません。本物として生きておいでになると思っているでしょう。だから気の毒なことになるのです。

皆様は死ぬにきまっていることをよく知っていながら、その自分を捨てようとしない。これが間違っているのです。死ぬにきまっている自分を捨ててしまえば、すぐに死なない自分が見えてくるのです。

死ぬにきまっている自分に執念を持たないで、それを捨ててしまいますと、死なない人間になるのです。これが五蘊皆空の実行です。皆様は五蘊皆空という言葉をよくご存知になっていながら、五蘊の塊の自分を固く信じておいでになる。アメリカ人は五蘊皆空という言葉を知りませんから、仕方がないのですが、日本人は五蘊皆空という言葉ぐらいは知っています。五蘊皆空という言葉を知っていながら、五蘊の塊である自分をなお自分であると思い込むというのは、妄念としかいいようがないのです。

なぜそういう愚かなことをしているのでしょうか。一番分かりやすいことは、現世に肉体的に生きていることが、業だということです。この世に生まれてきたことが業です。業の実体は何かといいますと、肉体的に人間が生きていることです。人間は肉体的に生きていることを経験するために生まれてきたのです。

人間が肉体的に生きていることが業です。般若心経はそれが嘘だと言っています。色即是空ということは、肉体的に生きている自分がいるという考えが、嘘だと言っているのです。人間はいないといっているのです。

とにかく、今の人間は必ず死ぬことが分かっていながら、それを自分だと思い込んでいます。これは何でしょうか。ただ自分がそう思っているだけなのです。その思いをやめたらいいのです。肉体的に生きている人間を神は相手にしていないからです。

地球ができた原因をしっかり勉強していきますと、人間がいないことが分かるのです。時間、空間が存在すると考えられている原因を考えると、人間がいないことが分かるのです。地球が存在していないから、人間も存在していないのです。物質が存在していないのに、人間の肉体があると考えるのはおかしいのです。

理論物理学では物質は存在しないことを証明しています。その証明が正しい証拠に原子爆弾が、長崎、広島で爆発したのです。もし物質が存在するなら、広島、長崎の爆発は嘘になるのです。一体どちらが正しいのでしょうか。広島、長崎で、一瞬のうちに何十万人の人が殺されたのは、本当のことなのです。

ところが、理論物理学の理屈は知っていますけれど、自分の肉体があることが嘘だとは思えないのです。もし肉体が嘘だとすると、一杯飲めなくなるのです。肉体が無いということが分かりますと、一杯飲むことが、馬鹿みたいに思えるのです。欲望を果たすことは、全く幽霊みたいなことになるのです。影も形も無いものが、旨いものが食べたいとか、食べたくないといっている。これはただの御伽噺になるのです。

一体、五蘊皆空が本当でしょうか。人間の肉体があるということが本当でしょうか。

どっちが本当でしょうか。人間の肉体があると信じていながら、五蘊皆空を信じようとするのは、無理なことです。ただ二重人格になるだけです。神に縁のある人と、ない人があるのです。神に縁があるかないかを決定するのは、ご自分です。自分で決定したらいいのです。

自分の根性に勝つか負けるか、どちらかです。自分の根性に勝とうと思えば、自分の根性を信用しないで、現実に生きているということを信用したらいいのです。

自分の根性と花を見ている意識とは違います。花を見てきれいと思っているのは、皆様の潜在意識がそう思っているのです。これが魂です。顕在意識が根性です。潜在意識が魂です。どちらを見るかです。

自分が自分と思っているのが自分なのか。生きているという事がらが自分なのか。パンを食べてその味が分かるという自分と、固有名詞の自分とは違います。飲んだり食べたりしている自分が本当か、社会的に働いている自分が本当か。どっちなのでしようか。

人間は神をばかにしています。神を侮るなという言葉が聖書にあります。人間は生

きているということを侮っています。

花を見てきれいと思うのはどういうことなのか。牛肉を食べると牛肉の味がするのは人間だけです。犬や猫でも味は分かりますが、千五百円の牛肉か、五千円の牛肉かを判断することはできないのです。

人間は高い牛肉と安い牛肉とを、味わい分けることができるのです。これは大変な力です。味を見分けることができるというのは、魂の働きでありまして、固有名詞の人間とは違います。戸籍台帳に乗っていない、ただ生きている人、ザ・リビング(the living)の人は、味を見極めることができるのです。これが本当の自分です。

戸籍台帳にのっている人間は、この世に生きている人間です。日本で生まれたから、日本で生きているだけです。日本で生まれたいと頼んだわけでもない。自然に生まれたのです。

問題は目で見ていること、舌で味わっていることが、何をしているかです。なぜかといいますと、五官は本能性であって、これは生まれる前に、神に植えられた魂の能力性です。大自然に現れた森羅万象、食べ物にある味、香、栄養価は、神が化けたものです。私達は神から与えられた能力性で、毎日神を経験しているのです。人間の生活はこのように驚くべきことをしているのです。

皆様の心臓が動いているということも、又、本能的な能力です。これを侮らないで、頭を下げるのです。目が見えるということに頭を下げるのです。なぜなら、目が見えるということが神の霊の働きだからです。

どうして地球がつくられたのか。創世記に、「神の霊が水のおもてをおおっていた」(12)とあります。水のおもては英訳で、the face of waterとなっています。おおうとはmoved uponとなっています。水のおもてとは分かりやすく言いますと、水素原子になります。水素原子が無かったら物質はできません。

神が原子を動かしている。これが物理運動の根本です。神が原子を継続的に動かしていることが、物理運動の根本になるのです。

物理運動の根本原理は何か。神の意思が継続的に働いている。逆に言いますと、原子核の回りを電子が回っているということが神です。皆様の肉体があることが神です。

それを自分がいると人間は思っています。神がいると思わないで、自分がいると考える。これは神を侮っていることになるのです。自分の思いによって神を侮っている。だから死んでしまうのです。

神とはどういうものか。目が見えるという形で、神が一緒にいるのです。皆様が生きているということが、神の霊の働きそのものです。自分が生きているのではありません。神の霊の働きがあるのです。これが人が生きていることになって現れているのです。

神の霊の働きによって、皆様の心臓が動いている。目が見えるのです。人間の霊というのは、人間が生きていることで、神の霊と同じものです。そこで神の霊を崇めることが必要です

手が動くこと、足が動くこと、五官の働きがすべて、神の霊の働きです。それが自分自身の霊になっている。このことをはっきり弁えれば、死ななくなるのです。


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