20核づけにされた地球の運命

イエスは死を破って復活しました。日曜日は、イエスが復活した記念日なのです。日曜日になぜ授業や仕事を休むのか、この説明ができる先生が一人もいないのです。

言論界でもマスコミ界でも、この説明ができる人がいないのです。西暦は世界の流れですが、なぜ、そのような必然性になったのかということです。

日本がなぜそれを採用しなければならなくなったのかという根本的な説明ができなければならないのです。そうすると、人間が死んだらどうなるかが、勝手に分かってくるのです。

イエスが死を破ったことによって、死の問題が歴史的に取り上げられることになりました。イエスが死を破ったことを勉強すると、何のために地球ができたのかという説明ができるのです。文明は何のためにあるのか、人間文明が始まってから六千年にもなりますが、いまだに人間が何のために生まれてきたのかという説明ができないのです。

皆様は、文明を信頼していますが、文明を信頼して何になるのでしょうか。学問がまちがっているのです。例えば、法律学は法律に関する専門学です。医学は病気に関する専門学です。

歴史学、経済学、政治学と色々ありますが、専門的なことばかりです。専門学は部

分学なのです。専門的といえば上等に聞こえますが、部分的なものなのです。

靴屋の専門店は、靴しか売っていないのです。現在、学校で教えている学問はすべて部分的な学問です。それを学べば、部分的な知識にはなりますが、他のことは分からなくなる、こういう大欠点があるのです。

今の学問では、政治学と科学を統合するものがないのです。政治学が正しいか、科学が正しいか、結論が出ないのです。そこで核兵器ができるのです。科学を勉強すれば、原子爆弾ができます。それを持つことがいいのか、悪いのかが、今の文明では判断できないのです。

その結果、アメリカは八千発、ロシアも七千発と両方あわせて一万五千発という、膨大な核兵器を持ってしまったのです。地球を何十回も破壊できる恐ろしい兵器を持っているのです。専門学の欠陥がこういう文明を生み出したのです。ノーベル賞という褒美がありますが、ノーベルはダイナマイトを発明したユダヤ人でした。日本の学者は、ユダヤ人に褒美をもらって喜んでいるのです。白人文明はユダヤ文明だというのは、こういう意味なのです。

死んだらどうなるかということを知ろうと思えば、全体学でなければだめなのです。専門学ではだめです。政治も経済も、科学も哲学も、法律も医学も、全部ひっくるめて、大きな立場から考えなければ、人間の死後の問題は分からないのです。

どうすればいいか、イエスが死を被ったことを勉強すればいいのです。イエスが死を破ったことは、歴史的事実なのです。イエスが死を破ったことにより、歴史が新しくなったのです。これをキリスト紀元というのです。

キリスト紀元になってから、すでに二千年以上もたっているのです。それなのに、まだ人間が死ぬと考えているのです。

人間は死ぬべきものではないことを、イエスが証明したのです。いまだに、イエスが死を破ったことが、どういうことなのかを、宗教以外の方法で、堂々と勉強している人が一人もいないのです。

文明は、何のためにあるのでしょうか。原子爆弾を造るような文明が、いいのでしょうか。校内暴力、家庭内暴力は随所にあるのです。今の教育がいいのでしょうか。教育が悪いのは、政治が悪いのです。政治が悪いのは文明が悪いのです。だから、文明がまちがっていると言わざるを得ないのです。

今、日本から、文明をやりかえるような、根本的な問題を考え直すような、すばらしい世界観が、発表されなければならないのです。正しい人間の見方、神の見方、命の見方、死後に対する見方が未知の世界観として、発表されなければならないのです。

聖書の本当の読み方、イエスが復活したとはどういうことなのか、イエスが死を破ったとはどういうことなのかを、分かりやすい形で、全世界に発表しなければならないのです。

死んだらどうなるかを、簡単に言いますと、死ぬと眠るのです。肉体的に死ぬこととは、そんなに恐ろしくはないのです。夜睡眠をとるようなものです。これは死ぬと同じことなのです。

夜眠れば翌朝起きるのです。だから安心して眠れるのです。ところが、目が開かなかったらどうなるのでしょうか。永眠しても、しばらくは眠っていますが、やがて目をさます時が来ます。その時がこわいのです。

現在の地球や人間社会は何のためにあるかといいますと、完成するためにあるのです。人間は完成するためにあるのです。

仏教では、成仏、成道といいますけれど、成仏とはどうなることなのかを、はっきり言わないのです。キリスト教でも説明できないのです。キリスト教は欧米の宗教です。ただの宗教です。彼らは、聖書に書いていないことを、勝手にしやべっているのです。

何回も言いますが、現在の地球は未完成の物体です。今の地球はいつ地震があるか分からないのです。あちらこちらに砂漠があります。伝染病が発生します。戦争がある、泥棒がいる、こういう地球は完全な地球だと言えるのでしょうか。地球は不完全なものです。未完成です。未完成の地球に未完成の人間が住んでいます。

肉体人間は未完成の人間なのです。地球も未完成です。だから、今の人生を本物だと思うことが、どうかしているのです。このことを、般若心経は五蕗皆空、色即是空といっているのです。般若心経をまじめにお読み頂ければ、すぐに分かるのです。

地球は完成するためにあるのです。人間も完成するために生きているのです。死んで眠っている人は、地球が完成するまで眠っているのです。何百年も眠っているのですが、やがて地球が完成します。その時に目をさますのです。

今の地球と全然違った世界が現れるのです。イエスはこれが分かったのです。分かったから、死を破ったのです。

もしイエスの復活を学の対象として取り上げれば、ユダヤ人問題は完全にしぼんでしまうのです。原水爆の問題も解決するのです。

ユダヤ人が一番いやがっているのは、イエスの復活です。これを学が取り上げると、人間の考え方ががらりと変わってしまうのです。そうすると地球が完成します。戦争がない世界が現れるのです。一人、二人が救われるかどうかの問題ではないのです。

永眠して目をさますとどうなるかと言いますと、世界が完成しているのです。目をさましたら地獄です。本当の命、本当の神を知らないで眠っていて、目をさましたら目の前に神がいるので、びっくりするのです。そこでしまったと後悔するのです。これを第二の死というのです。

肉体的に死ぬのは第一の死です。これはこわくないのです。第二の死がこわいのです。


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