26やがて全く新しい世界がやってくる

宗教は、仏教でも、キリスト教でも、すべて教義を教えています。教義は人間がつくったものです。だから教義といいます。

日蓮宗には、日蓮の教義があります。日蓮の教義からいえば、真宗亡国になります。禅が天魔になるのです。これは、おのおの信じる所によるのであって、人の宗教の悪口を言う必要はありません。

宗教は、絶対ではないのです。日蓮の思想は、日蓮の時代に、日蓮が考えた、仏教の見方です。これが、日蓮宗になっています。今から、七、八百年前に日蓮が生きていた、その時の日本の民度の状態、宗教の状態、政治の状態をふ事えて、日蓮が直感したことが、日蓮の法蓮華経の説明になっています。いいか悪いかではありません。それは、日蓮の主観であって、日蓮の悟り日蓮は、飛行機を知らなかった。電話を知らなかった。現在は、世界全体が、一つの国のようになっているのでそこで、できるなら、今まで勉強なさったことを踏み台にして、もっと大きいことをお考えになった方がよいと思います。日蓮は、全世界に人間がいることを知らなかった。文明がどういう形で、どのように進歩してきたのか。これから、人間の文明がどうなるのか。そんなことは、日蓮は一切説いていません。

今、日本人に必要なことは、これから世界がどうなるかということです。日蓮の立正安国論は、あの時の安国論として、非常に優れたものでしょう。しかし、今は、安国論は通用しないのです。基礎概念としては、妥当する面もあります。だから、公明党という政党ができているのです。しかし、これは将来の日本を予見するはどの思想ではないのです。ましてや、全世界の文明の流れの行く先を、照らしてくれる大きな思想にはなっていません。

これはあたり事えなのです。今から、七、八百年前の日蓮の悟りは、その時の悟りなのです。その時の日蓮の悟りは、鎌倉幕府のまちがいを鋭く指摘して、日本の危機をはっきり説いていた。これは立派なものです。その時の政治状態、その時の文化意識として、立派であったということなのです。

しかし、日本の立場は、当時と現在とは、全然違っています。今、日本は、全世界を指導しなければならない立場に、だんだんなってきているのです。現在、日本が、経済的にどんな立場に立っているかを考えれば、分かりますが、国家とか政治経済ということよりも、人間の本質を考えなければならないのです。人間の本質は、人間が考えているようなものではありません。

釈尊の悟りは、今から二千四、五百年前のものですが、釈尊の悟りの根本原理は、一切空です。一切空とはどういうことかといいますと、人間が現世に生れてきて、現世の常識で生きていることが、人間の業(ごう)であるというのです。肉体がある、社会がある、国があるという気持ちで生きていることが、業だといっているのです。

これが釈尊の悟りであって、この悟りは、今日でもはっきり通用するのです。日蓮宗とか、真言宗、浄土真宗という考え方は、釈尊から出たものではないのです。南無妙法蓮華経という考え方は、釈尊の最後の教えであることは、まちがいありません。

最後の教えだから、一番上等だということもできるかもしれません。しかし、これは、今から七、八百年前の、日蓮がそのように受けとめたということであって、釈迦本来の思想は、この世に生きている人間を、認めていないのです。

この世に生きている人間は、死ぬにきまっている人間なのです。ある宗教では、この世で一度死んでも、その宗教を信じていると、又、この世に生れてくるという宗教もあります。天理教などは、そのように言います。しかし、この世に何回生まれてきても、やはり、肉体的な命をくりかえすだけのことなのです。カルマを何度もくりかえすのです。

問題は、業を解脱して、このように生きているという間違いを、般若心経のように、五蘊皆空、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃というように、ずばりと人間を卒業してしまうということです。自分自身の観念を、卒業してしまうのです。これが、仏教本来のあり方なのです。

仏法と仏教とは違います。日本人には、これが分からないのです。仏教は、お祖師さんの思想を説いているのです。日蓮宗は、日蓮の思想、真言宗は弘法大師の思想、浄土真宗は親鸞の思想、曹洞宗は道元の思想を、というように、それぞれの宗派には、お祖師さんがあるのです。

お祖師さんの思想を説いているのが、仏教です。これは仏法ではありません。仏法というのは、釈尊の悟りそのものをさしているのです。これは、現世に生きている人間を、認めていないのです。だから、日蓮宗が悪いというのではありません。いいとか、悪いとかいう問題と違うのです。

すべて、一流一派の宗教は、それぞれの主張はありますが、又それぞれの欠点もあるのです。良い所もあるが、悪い所もあるのです。例えば、法華経二十八巻を読んでみますと、一番最初の方で、人間が現世で生きていることは、空だとはっきり言っているのです。人間が現世に生きていることが空なのですから、この世でごりやくを受けるとか、死んだら又生きかえるとか、そんなことは、仏教本来の悟りと、縁がないことになります。日蓮宗がいい悪いというのではなくて、日蓮宗には日蓮宗の特徴があるのです。これをふまえて、もっと勉強されますと、もっと大きいこと、もっと広いことが分ってきます。

釈尊は、明けの明星を見て、空だと言いきったのです。明けの明星とは何か。これが現代の日本では、皆目分りません。明けの明星が説明できる坊さんは、日本にはいないのです。明けの明星を見ることが、実は本当の空の原理なのです。

空とは何か。明けの明星によって、新しい世界が現われることを、釈尊は達観したのです。新しい世界が現われることを見た釈尊は、現在生きている世界が、空だと分ったのです。今生きている世界よりも、もっと完璧な世界、地球が完成すること、人間が完成することを、釈尊はちょっと見たのです。

死んでいく不完全な人間、潰れていくにきまっている国、社会、文明は、空なのです。宗教も、空なるものです。宗教は、その時の教えを説いているが、それを踏み台にして、もっと大きく成長しなければいけないのです。

現在、百八十近い国が世界にあります。日蓮は、日本一国のことを考えていた。今は、全世界の人間の流れを知って、ユダヤ人の動きがどうなるかが分らなければ、日本の国の指導方針は、たてられないのです。

今、日蓮が生きていたら、違ったことを言っていたでしょう。だから、親鸞がいいとか、弘法大師がいいとかいうのではありません。すべて仏教は、仏法の、釈尊の悟りの一部を説いているのです。釈尊が説いた一切空というのは、ちょっとむちゃの様に聞こえますけれど、これこそ、完壁無類の人間完成、地球完成がありうるということを、示唆する、驚くべき偉大な思想です。

今までの宗教の経験をふみ台にして、今の時代にふさわしい世界的な見方、世界中どこでも通用する、大きい事実をつかまえて頂きたいのです。聖書は、人の教えではない。イエスが復活したことは、事実なのです。歴史の実体なのです。地球が存在することの実体です。これをつかまえるのです。

私達に必要なものは、宗教ではなく、命の実質なのです。今、生きていることが、そのまま永遠の命になるという原理です。この原理に到達することが、絶対に必要です。まず、自分が生きているという気持ちを、捨てることです。従って、自分が信じている宗教をのりこえることです。学問をしている人は、学問をのりこえるのです。いろいろな経験があると考えている人は、その経験をのりこえるのです。その向こうに、本当の命があるからです。


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