4ユダヤ人の盛衰興亡は人類の運命の根底になっている

人間が肉体的に生きているという考えを、断定的に創造したのが、ユダヤ人なのです。モーセの提を、肉体的な人間が守ろうと考えた。これが、肉の思いを持った人間が棲息しはじめた原因なのです。

人間として、神の前に生きておれるのは、ユダヤ人だけなのです。神の約束に係りがあったのは、ユダヤ人だけなのです。神の約束とは何かということを、説明しなければなりませんが、まず神とは何かと言いますと、命の根坂なのです。地球を地球たらしめているもの、人間を人間たらしめているものが、神なのです。

神とは、人間が承知してもしなくても、純然とした客観的実在です。地球には、強力な電場が造られています。電離層とか、バンアレン帯があって、地球に強力な電場があります。地球を生きものにしている力が、神なのです。

この事実に基づいて考えますと、この神がユダヤ人に約束を与えました。ユダヤ人に与えた約束は、ユダヤ人だけを人間扱いするという、神の宣言なのです。

その前に、ノアの洪水の事件をお話ししなければなりませんが、これは、今から五千年前に起きた出来事です。この時に、火星にあった水が地球に来るという、とんでもない事がおこったのです。その時の水が、現在、北極と南極で、氷になっています。これは地球にとって多すぎる水なのです。

旧約聖書に『その日に大いなる淵の源は、ことごとく破れ、天の窓が開けて』とあるのです(創世記711)。現代人から考えると、全く荒唐無稽の御伽噺としか思えませんが、実際に起きた事件なのです。聖書を信じることが、日本人にはほとんどできていませんから、聖書に書いてあるといっても、さっぱり分からないのです。

実はユダヤ人の身の上話は、私達の命に重大な意味を持っているのです。ユダヤ人の盛衰興亡の歴史は、世界全体の人間の運命の根底になっているのです。こういうことが、日本人には分からない。聖書を知らないからです。

キリストとは、命の源である神の地球計画なのです。神の地球計画を、神はユダヤ人の祖先に打ち明けたのです。地球はこういう理由で造ったのだと、神がいったのです。これがユダヤ民族のはじまりです。

アブラハムが神の相談相手になったのです。神がアブラハムを友達と呼んだのです。ノアの洪水の時に、人間が全部殺されて、その中でノアの家族だけが助かったのです。今生きている人間は、全部ノアの子孫になるのです。ノアの子孫の中から、アブラハムが出たのです。

神がアブラハムに約束を与えた。これが、世界歴史の根本になっているのです。例えば、白人が文明の中心になっている。黒人が下におかれている。かつて、黒人が奴隷売買の対象になったのです。これは、ノアの洪水の事件が分からないと、理解できないのです。

そのように、人間の歴史の流れは、聖書を見なければ分からないのです。仏教をいくら勉強してもだめです。人類の歴史の流れが、命の流れの根源なのです。これは宗教では分からないテーマなのです。

ユダヤ人問題は、宗教の問題ではないのです。世界歴史の実体なのです。これをつかまえると、本当の命が分かってくるのです。

日本人は島国根性を持っていて、分からないことは知らなくてもいいと思っています。日本で通用する理屈が、まともな考えだと、自己中心に考えている。

六千年の歴史の流れは、神の方針に従って流れてきたのであって、ユダヤ人問題は、神の方針の中心思想の問題なのです。

今はユダヤ人は大変悪いことをしていますが、キリストが復活する前までは、神はユダヤ人を中心にして計画をつくっていたのです。ユダヤ人は、本当の神をつかまえていた中心民族だったのです。

かつてユダヤ人は、神からモーセの掟をあたえられました。その時ユダヤ人達は、神から、神にじきじきに仕えるか、掟を守るかの選択をせまられ、掟を守るほうをとったのです。

しかし、神の掟は行えないものです。これがユダヤ教の間違いです。神の掟の中心思想は何であるかといいますと、人間が自分が生きているという考えを、やめなさいといっているのです。「おまえの命は神が与えたのだから、神の命に生きなさい。自分の命に生きてはならない」。これが掟の中心思想なのです。

十戒の冒頭で、神は、『わが顔の前に、われの他、何ものをも神とすべからく』といっています(出エジプト記203文語訳)。わが顔とは、人間が生きていること、雨が降っていること、太陽が輝いていることです。私達は、いつも神の顔を見ているのです。

ところが、自分が生きていると思いますと、とたんに、自分自身が神になってしまうのです。わたしが生きていると考えると、わたしの命、わたしの健康、わたしの気持ちが、一番大事になるのです。その時、わたしが神になっているのです。

わたしが生きていると思っている人は、わたしという神を拝んでいるのです。これが間違っているのです。

わが顔の前に、何ものをも神とするな。自分を神とするなと言うのです。自分が生きていると考えますと、神もあるかもしれないが、自分はもっと大切だと考える。神はどんな人が分からないが、自分が生きているのは確かだと思うのです。これは、神の前に、自分が倣然と立っているのです。自分が神になっているのです。

基本的人権という考えが、神の権利をふり回す思想なのです。これがユダヤ思想です。自由、平等、博愛というフランス革命の思想は、ユダヤ思想です。

基本的人権によって現代文明が始まって、現在基本的人権が横行しているのです。民主主義は、基本的人権の芝居です。民主主義は、政治体制としては悪くないのですが、人生観的には、非常に悪いのです。政治問題と人生問題を混同してはいけないのです。

ユダヤ人は、人間が生きているから、自分が掟を行って、神の前に大きな顔をしようと考えたのです。これがユダヤ教の初まりです。基本的人権の初まりです。人間が生きている。人間が幸福になれる権利があると考えるのです。

幸福にならなければいけないのですが、人間が幸福になってはいけないのです。人間の本質は魂です。魂とは、生きていることがら、本質です。魂が幸福になればいいのです。固有名詞の自分が幸福になる必要はない、これは、死ぬにきまっているのです。人の本質は、魂です。魂が救われたら、勝手に幸福になるのです。

ユダヤ人は魂を見落としています。人間だけに目をつけたのです。これは間違いやすいのです。魂である自分を見ないで、人間である自分を見るのです。

ユダヤ人は、人間である自分を、神として拝んでいるのです。自分の自尊心を拝んでいるのです。自分の経験、自分の立場、自分の利害を拝んでいる。これは、神ではないものを、神としているのです。この思想を世界にひろげたのが、ユダヤ人です。この思想が、現代文明の中心になっているのです。

その結果、とうとう文明が行きづまって、どうにもならなくなっているのです。この地球を、何十回も破壊できる核兵器を追ってしまった。オッペンハイマーというユダヤ人学者が、原爆を造ったのです。なぜこういうことになったのか。魂をぜんぜん見ないからです。人間が生きているとばかり思っているのです。人間が生きている本質を洗い出すと、魂になってくるのです。

ところが、魂を考えないで、人間が大将になっている。人権主義は、人間を神に祭り上げて、拝んでいることになるのです。この思想の源が、ユダヤ思想なのです。

魂とは何か。曹洞宗の開祖道元禅師が、『生を明らめ死を明らめるは仏家一大事の因縁なり』と言っています。人間が生きていることを明からするのです。これはどういうことかといいますと、人間が生きているのは、人間という肉体が生きているのではない。生きているという命が、形を追っている。これを魂と言うのです。このことを明らかにすることが、人間一大事の因縁であるというのです。

明らかにするとどうなるのかというと、自分自身が仏になるのです。生死のうちに仏あれば、生死なし。人間が生きている間に、仏があればいいのです。仏とは、魂の実体を知ることです。私達がこの世に生きている状態において、悟りがあるなら、その時、その人は、現世から消えています。

この世に生きている間に、仏の悟りがあれば、この世に生きている事実はない。自分が生きている事実はないというのです。こういう人が、一人でもユダヤ人の中にいたらよかったのです。預言者にはありましたが、民衆に中にはなかったのです。預言者の言葉に反対して、民衆全体がユダヤ教をつくってしまったのです。この考えが、現代文明の基本的な考えになっているのです。その結果、自分が生きているという考えの中で、世界中の人間が苦しんでいるのです。これが、ユダヤ人の罪悪です。ユダヤ人は、人間の命の根本に反する思想を、全世界に流しているのです。

ユダヤ人は非常に優秀です。ところがユダヤ人は、学問を通して、人間の権威、人間の力を誇張するのです。自分という人間がいる。自分という神を拝めというのが、文明思想なのです。こう言われると、人間は何となく気持ちがいいのです。基本的人権があるといわれると、何となくうれしい気がするのです。

人間をうまくおだてあげて、自分達の思想を世界に流したのです。その結果、近代文明ができたのです。全世界を何十回も破壊する核兵器を造ってしまったのです。これがユダヤ人の間違いで、この間違いを日本から是正しなければならないのです。

世界の命の流れを阻んでいるのは、ユダヤ人です。神と人間との関係を遮断しているのは、ユダヤ文明の思想です。これがなくなると、世界の文明状態が、一変してしまうのです。


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